【5章および真エンドのネタバレを含みます】


黄蓋殿の「半分」って絆2で明かされる自分の黒い部分のことを指していますよね。

孫ルートのエンド裏も表も大好きなんですけれど、ひとつずっ~~~~~~~~~~~っとモヤモヤし続けていたことがあって、それが赤壁後のイベント会話での黄蓋の「半分は本気だったからな」の「半分」のところ。
え、それってつまりどこ?!と釈然としなくて、だから黄蓋の言う「守るべき」の地盤がいつも自分の中で「そうであってほしいけど」みたいなすごく抽象的なところで揺らいでいて。 孫ルートやり直して、またずっと考えてたらさっきふとシャワー浴びてるときに降ってきて、 瞬間、そうか!!!!!!!と猛烈に適当に顔を洗い髪を乾かしもせずに忘れるまいといま勢いでキーボードを叩いている。

いや、普通の人は考えずとも分かる部分なのかもしれないんですが、わたしは本当にこの「半分」がどこの要素のことなのか分からなくて、というかオリジンズの黄蓋の癖が強すぎて迷宮入りして苦しんでました。
やっと船と陸地がつながった...という安堵と快感。ずっと解釈がゆらゆらしていたのでこれを忘れる前に吐き出したいと一心不乱にキーボードを叩いている。自分に言い聞かせて説明する感じで考えながら打ってます。
さっきから読みづらいことこの上なくて申し訳ない



後から回想で挿入される(ここの過去現在のシームレスな演出がそれはもう最高潮に格好いいんですが!!)この周瑜との密議のシーンが、どこにあたるのかを永遠に考えてました。
結論から言うと本当に赤壁の手前、三江口の戦いの前でしょうか。蔡瑁、張允を潰す目的である戦というよりは、黄蓋と周瑜のこのシーン=苦肉の準備のためにある前哨戦と解釈したら三江口の意義もなるほど!と解せました。
メタ的に、華容道の戦いがないのでその調整か?とか思っていて、もちろんそういうシステム的な面もあるかもしれないですが、 こうストーリーの上でも納得できるという作り方のうまさにもまた、はぇ~~~(五体投地)てなりました。

赤壁に至るまでも、特に5章中に黄蓋の不穏な台詞が醸し出す淀んだ空気みたいな箇所が随所にあるので、どこからが下工作なのかなってずっと思いながらやり直していたんだけど、 別に黄蓋は演技でもなんでもなくてありのままの言葉、ありのままの姿だったんですね。それが分かってやっと、まさしくそういう自分が苦肉の計沼に嵌っていたのかもな~ってしみじみ思いました。



「真実孫呉を思い」ていう周瑜の言葉まわしいいですね、「孫家を思い」ではないところ、周瑜にははっきり見抜かれている。周瑜は揚州ではなく孫家の志を継いでいるので
ここのムービーのふたりの一挙手一投足と台詞まじでぜんぶかっこよくてほんにだいすきなんですが、特にこのシネマチックなフィルターがドセンスありすぎっていつも思います。 lightroomで同じフィルター作りたいって思うけど青みのなかのやわらかい蝋燭のオレンジのこの絶妙な具合が全然うまくいかない。色彩の調整が神がかっていてほんとにほんとにすき
普通なら上座の黄蓋のところに周瑜がいるような気がするんですが、これは周瑜から訪っているってことなんだろうか




遡って3章の襄陽の戦い。このあとの絆2会話でこれが幻ではなく黄蓋のまた違う側面であることが分かって衝撃なんですが



こういう一筋縄ではいかないキャラクターの二面性をバリバリに描いてくるのがオリジンズなんよなあ・・・というのを忘れかけてました。
家が貧しくいつかは人の上に立ちたいと思っていた、という人間の立体感がたまんなく良い。玉璽を守ることを選択することが、家族を守りたいという道理に反することを指摘するところも良い。 暗い感情がなければそうは思わないんじゃないか。も~~~~どうしようもないくらいオリジンズの黄蓋殿大好きだ~~~~~~ 格好いいだけじゃなくて、わたしたちと同じ等身大の生身の人間でありすぎる。そういうところがすき



冒頭のエンドの話に戻るんですが、孫権はそういう「黒い黄蓋も人間として正しい姿」だと認めていて、だからこそ真に守るべきになっていった、というステップが孫ルートのシナリオの中で描かれていたんですね。

「正しさとは何か」って孫ルートの副題なのかなってちょっと思っていて、黄蓋は「後になってみなければ分からない」といい、周瑜は「正しさとは人の数だけある」といいます。

人の数だけある正しさを不協和音とするならば、それを協和音にして、皆で選んだものを正しさにしていく。そういう孫権の君主としての姿が、あの状況で「半分は本気」と吐露できた黄蓋の、 心から「守るべき」だったのかなあ、とか、やっと自分の言葉で吐き出すことができた気がしてだいぶ、うれしいです。

「守るべきを守れぬ痛みに比べれば、いかほどであるかよ」
物理的に守るのもそうなんですが、黒い感情と戦ってきた黄蓋にとっての本当に守るとはという意味を考えたときに、このムービー観返して滝のように泣きました。
人間の描き方が、ほんとうに美しいです。


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👆これは宗教画










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